名 称:赤羽山法善寺(あかばねざん ほうぜんじ)
宗 旨:浄土真宗
宗 祖:親鸞聖人
宗 派;東本願寺派
本 山:浅草 東本願寺
赤羽法善寺は、東上野にある龍飛山法善寺第16世住職理賢師の隠居寺として昭和の初めに起こりました。隠居寺といっても、最初からそのような目的で始まったわけではなく、都市計画のために移転しなければいけないという事情があって、師がその移転先に赤羽の地を定めたことが起源となります。ではなぜ移転先が隠居寺となったのか、龍飛山法善寺を含めて400年余りの法善寺の歴史をたどります。
慶長14年(1609年)。三河の国の有力な真宗寺院である佐々木上宮寺の弟子となって了賢となった佐々木六角刑部小輔久綱三世の孫野村越中守高勝の次男次郎高就が江戸に出府して佐々木法善坊蓮の遺跡を再興して法善寺の前身、寛慶山當福寺を建立します。
徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開府してから6年後、関ヶ原の戦いからは9年後、大坂冬の陣はさらに5年後になります。
寛永10年(1633年)。了賢法師の嫡子浄賢法師が本願寺より「法善寺」の寺号を授かり、武州豊嶋郡江戸神田(今の神田あたりでしょうか)に寺所を定めます。
文化9年(1812年)。度重なる大火を避けるため、本願寺から離れ寺所を浅草清島町(龍飛山法善寺の現在地)に移転します。
明治24年(1891年)。品川正徳寺の次男理賢師が養子となり第16世住職を継承します。師は信仰雑誌「法話」月刊誌「本願寺」を発刊し、盛んに布教活動を行います。
大正10年(1921年)。東京市(当時)の市区改正計画により寺所の移転を余儀なくされた理賢師は、赤羽の土地(現在の桐ヶ丘中学校の一部)を購入します。大正12年8月には民家を購入して赤羽に解体移築します。
大正12年(1923年)9月1日に関東大震災が発生します。これにより、市区改正計画が大幅に変更となり浅草の法善寺は移転しなくてもよくなってしまいます。とはいえ、被災はしているので理賢師は法善寺の再興に取り組むことになります。
昭和3年(1928年)。浅草が残ったのはいいとしても赤羽もあります。ところが今度は赤羽の土地が陸軍弾薬庫の拡張のために明け渡すこととなり、その代替地として陸軍被服廠の土地であった現在地をもらい受け移転して古屋二階建てを移築し、その座敷の一部を改めて仮本堂とします。
当山では、ここをもって赤羽法善寺の始まりとしています。
昭和8年(1933年)。浅草法善寺の本堂再建に伴い、浅草法善寺の仮本堂を赤羽に解体移築します。ここにはじめて庫裏と本堂が赤羽に揃うことになりました。
昭和11年(1936年)。龍飛山法善寺第16世赤羽山法善寺開基理賢師逝去。嫡男理々(りり)師が龍飛山法善寺および赤羽山法善寺第2世住職を継承します。
昭和13年(1938年)。理々師は、理賢師の遺言に従い、龍飛山法善寺の住職を次弟季賢師に譲ります。
昭和16年(1941年)。理々師、財団法人日本仏教鑽迎会を設立。
昭和20年(1945年)大東亜戦争の戦況悪化により浅草の法善寺は強制疎開となり、その本堂は浅草観音・浅草寺の仮本堂として移築されます。その仮本堂は淡島堂として浅草寺の境内に現存します。
移築にあたっては浅草寺が買い取ったのか、強制疎開でどうせ壊されるならあげるよといったのか経緯はつまびらかではありません。淡島堂の説明にはどこにも元法善寺の本堂とは書かれていません。おそらく浅草寺にも記録がないのでしょう。
昭和29年(1954年)。宗教法人法善寺保育園を(昭和49年より社会福祉法人讃仰会法善寺保育園)開園します。
昭和34年(1959年)。真宗大谷派に加盟し、東本願寺末寺・真宗大谷派赤羽山法善寺となります。
昭和47年(1972年)。鉄筋コンクリート造りの現本堂が落成します。
昭和53年(1978年)。親鸞聖人700回御遠忌ならびに本堂落慶法要を理々住職・冨士副住職のもと、東本願寺光紹新門台下をお招きして厳修されます。
昭和56年(1981年)。当山第2世鑽仰院釋理々師逝去。嫡男冨士(法名:冨澍院釋理頴)師が第3世住職を継承します。
昭和58年(1983年)。第3世理頴師は真宗大谷派から独立し、赤羽山法善寺は再び単立の東本願寺系寺院として再出発することとなります。
昭和60年(1985年)。第3世冨澍院釋理頴師は志半ばに命終往生し、現住職釋斉栄が継承します。
昭和63年(1988年)。すでに昭和56年に大谷派から独立していた大谷光紹台下を住職とする東京本願寺(もと大谷派東京別院、現東本願寺)とともに東本願寺派を結成します。
平成10年(1998年)。境内、玄関、渡り廊下、本堂、本堂下トイレの改修工事を行い、翌年2月に完了します。この時に本堂を椅子式に改め、冷暖房設備を入れ床暖房を導入。
平成19年(2007年)。本堂の瓦屋根が劣化して危険なため改修工事を計画します。本堂の耐震性を高めることも考慮して、従来の本瓦屋根に比べると大幅に軽量化できるチタン製の金属瓦に葺き替え。
平成23年(2011年)。東日本大震災が起こります。幸いにして本堂に被害はありませんでした。
平成28年(2016年)。10月30日、親鸞聖人750回御遠忌ならびに仏舎利塔兼永代供養墓落慶法要が厳修されました。同年4月には墓地の休憩棟が完成しています。
仏舎利塔には、当山第2世理々師がスリランカのイスルムニヤ寺院から分贈されたと伝わる仏舎利が納められています。